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インスタレーション「インターナルライン」の前に立つ塩田千春さん。壮大な作品とは対照的に、自作について柔らかな口調で話す=大阪市北区の大阪中之島美術館
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 降り注ぐような赤い糸のなかに、巨大なドレスがかすかに見える。ベルリンを拠点に活動し、出身地・大阪では16年ぶりとなる大規模個展の幕開けに選んだ作品「インターナルライン」だ。空っぽのドレスを「第二の皮膚」とし、血液の色でもある赤は、国籍、家族、宗教といったあらゆるつながりを象徴しているという。いま、大阪中之島美術館(大阪市北区)で「塩田千春 つながる私(アイ)」(朝日新聞社など主催)を開いている。

絵が描けなくなった

 大阪府岸和田市育ち。12歳のころから画家になりたいと思っていた。だが、京都精華大学美術学部に進学したとたんに絵が描けなくなった。「何を作ってもいいという自由課題に取り組んだとき、なぜ自分は油絵を描きたいのかと行き詰まった。私だけが表現できるものと思えば思うほど、絵がすごく狭い世界に思えてきた」と振り返る。

 模索の時期が続き、自分自身が絵になろうと頭から赤い塗料をかぶったこともある。1996年に渡欧し、ドイツの大学で、第一線で活躍する女性の美術家のマリーナ・アブラモビッチやレベッカ・ホルンに師事。作品は次第に糸を張り巡らせたインスタレーションになり、いまに続く道が開けた。

 一貫して、「生と死」という人間の根源的な問題に向き合い、自分が感じる苦しさや違和感を作品として昇華してきた。

どん底を経て生まれた「掌の鍵」

 40代の初めに、おなかの子どもを妊娠6カ月で失い、その3カ月後に父を亡くした。家からも出られない「どん底」の状態を経て生まれたのが、2015年のベネチア・ビエンナーレで発表した「掌(てのひら)の鍵」だった。「もうこれ以上傷つきたくない。掌で握れる大切なものを集めたいという衝動に駆られた。鍵は人の形に似ていた」。日本館の天井から約5万本の鍵を赤い糸でつり下げた作品は、世界中からベネチアに集まった美術関係者に強い印象を残した。

 19年に森美術館(東京都港区)で開催した自身最大規模の個展は、がんの再発を告げられるなかで準備した。「ベルトコンベヤーに載せられているように治療が進んだ。私というもの、魂が置き去りにされている気持ちになった」。「魂がふるえる」と名付け、身を切るように取り組んだ展示は共感を呼び、約67万人を集めた。

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 近年は世界各地で個展が開か…

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